ぼくの単位観
先日レスリングの試合を観戦した。レスリングは体重別に階級が分かれていて、
少しでも制限値をオーバーしていれば試合に出られないということ
計量の様子を見て、「体重計に表示される数値は、本当に正確なの?
真に1キログラムのものを、
逆に、
測定には基本的に誤差が伴う。しかし、
一つ目は、測定機会間の誤差だ。「
二つ目は、測定器間の誤差だ。
「重さ」の単位はとても扱いづらく、
信用されるさめには、
しかし、この調整も、容易なことではないと思う。
例えば、真に1キログラムの物体(鉄の塊など)
ではこの体重計は正確であると考えてよいだろうか?
否であると思う。
この点を座標平面にプロットしたところで、
だから、真に2キログラムの物体、真に3キログラムの物体…
正確な体重計であれば黒線のような、「y=x」の関係であらわされるグラフになるが、2点のプロットだけだと赤線のようなグラフだって考えられる。
このもやもやを解消するために有用な道具が「天秤」だと思う。
一方で、長さは疑われにくい単位だと思う。
長さを測るのに「ものさし」を使うが、ものさしは「真の長さ」
ここまで話してきたが、共通するのは、結局のところ、計量する際には「すでにある器具は信用するしかない」ということだ。なぜなら計量器の誤りを訂正するためのすべは基本的には持ち合わせていないからだ。ピアノの調律をするために絶対的な音階を示す音叉を利用する、といったことができないのである。
かねてからものの単位には興味を持っていたが、昨年の「単位展」*4
自動車教習所で怒られたこと
決して根にもっているわけではないけど、そんな怒られ方は人生でもほとんどしたことがないので、これから先も忘れないと思う。そんな怒られ方の話。
越権行為?
プロ野球のニュース記事を見ていると、たまに越権行為という言葉を目にする。
長岡の花火大会。と、高校の頃に書いた作文
長岡の花火大会に行ってきました。(2年連続2回目)
社会人として学生との格の違いを見せつけなければいけなかったので、新幹線とバスツアー、そしてます席チケットを活用しました。したがって、移動手段や花火の観覧場所にはだいぶ余裕がありました。利点は以下の通り。
利点その1
花火の観覧場所はます席だったので、昨年よりもさらに近い場所で、悠々と寝転がりながら観覧できた。
利点その2
バス移動なので、昨年駅構内に入るだけで2時間以上も並んだところを、花火が終わった直後に涼しいバスに乗れた。
個人的にはみなとみらいの花火大会にも思い入れがありますが、正直、比べ物にならないです。
花火までの近さと、それによる迫力。特に、破裂した音の震えが体に直接伝わってくるのは圧巻でした。
また、とにかく広範囲。あらゆる方向で打ち上がるという花火大会の特長と、花火までの近さがあいまって、視界のほぼ全てが花火に覆われました。視野角や画角がとにかく狭い。草食動物ならば、全てを見ることができるんでしょうね。
キャッチフレーズをつけるならば、
「座っては見られない花火大会」。
座ってると一部しか見ることができないので、寝転がるしかない。そんな花火大会です。
いくつか写真を貼っておきます。
iPhoneごときではの全てを撮りきることなど到底できません。カメラからはみ出る範囲で空一面に花火が打ち上がっており、Apple社すらも凌駕しているのです。
しかし。
花火の写真を撮っていてふと思ったことがあります。それは、写真を撮っている時は、花火ではなくiPhoneの画面を見ているということです。目の前を花火が打ち上がっているのに、iPhoneを見ているなんて、もったいないなあと。
記憶だけでなく、記録も残したいという気持ちもありますが、100%を身体で感じ切ることを放棄したような、後ろめたいような気がしていました。
ここで思い出すのが、高校の頃の夏休みの宿題で書いた作文です。その当時は自分を含めほとんどの友人が携帯電話を持ち出す時期でした。私は作文で、携帯電話は本来コミュニケーションの幅を広げるためのツールであったのに、逆にそれを持つことで、その操作に夢中になって目の前の友人とのコミュニケーションが疎かになっているのではないか?と格好をつけて訴えました。作文は県のコンクールで佳作か何かを受賞した気がします。
花火を目の前にして、その写真を撮るためにiPhoneに夢中になっている状況。今日、自分が批判的に書いた作文の状況に似た状況が起きていたのではないかと思います。
文明の利器の功罪といったところでしょうか。
また、綺麗な写真をたくさん撮ったとしても、昨年撮った写真と見分けることはままならないと思います。
やはり、その場でどう感じたかが、「来た甲斐」に結びつくのだと思いました。
明日も同じ場所で花火大会が行われるので、新潟県長岡市ではありますが、たくさんの人に行って欲しいと思います。
話は変わりますが、今日群馬県のとある球場で、アレックス・ラミレス選手の引退セレモニーが行われました。このイベントにも誘われており、興味もありましたが、人生は取捨選択の連続なんだなあと思いました。
メガネは俺のトレードマークじゃない。
今まで自分は、どんなコミュニティでもスタートは裸眼だった気がする。つまり、初めましてのときにはメガネをかけずに、これが普段の私ですよろしくとアピールをしていた。
今の職場ではどうか?初日に職員が顔を合わせる場、それから生徒と初めて顔を合わせる場のいずれでも、メガネをかけて初めましてを言ってしまった。
失敗した!
この時は全く気に留めていなかったけど、このタイミングで周りの職員や生徒には「あーこの人はメガネをかけてる人なんだなー」っていう認識がなされていたんだよね。まるで俺のトレードマークはメガネ、みたいに。
ただ、俺はメガネをかけているのは運転に絶対に必要なだけで、日常生活ではかけてなくても意外にちゃんと見えてたりする。もちろんメガネかければよく見える。だってそもそもメガネってそういうものだし。
だから、生活しているとメガネを外して廊下を歩いたり教室行ったりする場面がしばしば出てくる。その度に、「え、今日メガネどうしたんですか!?」「何かあったんですか!?」って生徒に声かけられる。コミュニケーションのきっかけになって嬉しい反面、そこまで大きなリアクションしなくても、みたいな思いもあって。
教訓3つ!
やはり第一印象は重要だなあ
生徒は自分が思っている以上に職員を見ているんだなあ
自分にとっては些細な変化でも意外と反響あったりするんだなあ