自動車教習所で怒られたこと
決して根にもっているわけではないけど、そんな怒られ方は人生でもほとんどしたことがないので、これから先も忘れないと思う。そんな怒られ方の話。
2年前に運転免許合宿に参加した時のこと。
路上教習で交差点を右折するときに、自分の判断で「いけるぜ!」と思ったタイミングでアクセスを踏んだら、「対向車が来てるだろ!」と教官に怒られ、補助ブレーキを踏まれた。
俺「いけると思いました」
教官「何考えてるんだ、今のは無理だろう!」
自分も「まあ確かに今のはちょっと無理だったか…」と反省した。
そしてその時間の終盤。教習所へ戻るためには右折をして進入しなければならない。自分は数分前に注意されたことを思い出して、対向車とタイミングに注意しながら安全に右折を成功させた。
その時の教官のコメント
「さっきの場面では無理やり行こうとしたのに、なんで今のは止まったの?あなたの考えだと今のも無理やり行くんじゃないの?」
この人は人にものを教えるのには向いていないと思った。
そのコメントの続きを想像で補うと、
「でも、今止まったってことは、さっきのはやっぱり間違ってたことに気づいたね。」
みたいな意図があったんだとは思う。
正しい方へ導くための意図は感じるけど、かける言葉を間違えていると思う。なぜ再び失敗を誘うような、喧嘩腰のような、皮肉めいた言葉を用意するのだろう。
「さっきはダメだったけど、今回はうまくいったね。失敗が活かされてるね」くらいのポジティブな言葉で、ことの良し悪しを学ばせるほうがよっぽどいいと思う。
何か失敗したとしても、そこから学び、次の機会に成功したとしたら、その変化や進歩を褒めた上で本人の学びにつなげればいいのに。
教官のコメントとその背後の意図はこう。
①ある「行為」をしたせいで失敗した
↓
②同じ場面ではお前はその「行為」をするはずだ
↓
③でもお前はその「行為」をしなかった。そのおかげで成功できた
↓
④よって、その「行為」は過ちである
②のようなコメントが出てくるのは、教わる側の人間は同じ失敗を繰り返すというのが前提にあるからだと思う。
①③④に関しては、間違ってはないけど、もう少し良い学ばせ方はあると思う。
「背理法」のような教え方は数学の授業だけで十分だ。
背理法のざっくりとした例
〜「ルート2は無理数である」ことを証明したい〜