修論やってたら座右の銘を手に入れた話
修士論文の初稿を完成させたので、備忘録的に、修士論文作成を通して感じたこと、学んだことをまとめる。
自分の研究は、66枚、文字にして21000字にまとまりそう。
2年間の研究生活で、およそ1年半を論文の読み込みをはじめとしたテーマ探しに費やし、本格的にテーマを固めて研究を始めたのが、M2の8月。シミュレーションを始めたのが9月。
研究室によって、研究スタイルは多様であるが、ペースとしては遅い部類に入るのだろうか。
修論を通して学んだことは、
最後に能動的に選択するために、
選択肢をたくさん持っておくべき
ということである。
統計学の手法とかは二の次…かな。
どういうことか?
修論を終えて(初稿を完成させて)最初に思ったのは、
多分この論文は、1年前の自分でも理解できるだろうな。
下手すりゃ2年前の自分(B4)でも理解できちゃうかもしれない。
ということだった。
テーマさえ決まってしまえば、1年前にできていた論文かもしれない、
テーマを決めるには、まずは、論文を読んで先行研究を学ぼう、
けれど読んできた論文のすべてが役に立った訳ではない、
だったら、早くからとにかくたくさん論文にあたってみればいい。
ポイントは、
読んできた論文のすべてが役に立った訳ではない
ということ。
これって、いいこと?悪いこと?
効率重視で考えれば、結果的に必要なかった論文は無駄だった、かも。
でもあの時それを読んだ自分には少なからず必要だと思われた、はず。
でも、
「あれもいいな、これも気になるな」っていう気持ちが少しでもあるならば、選択肢の集合は手広く持っておくのがいいと思う。
(いきなり最初から「これ!」って決めつけるのはちょっと怖い。)
そして、いざ選択・決断が迫られたときに、
その広い選択肢集合から自分の「これ!」を取り出す。
自分自身で選択できるチャンスがあるということ。これが「能動的な選択」だと思ってる。選択肢があればそれができるチャンスが広がる。
逆に最初から選択肢を狭めると、追い込まれた選択しかできなくなる。消去法なんてまさにそれ。
選択したあとに残されたほかの選択肢は無駄かもしれないけど、でも能動的な選択をする上では確かに必要なものだったのだと思う。「今思えば、あれいらなかったよね」くらい思えるようになれば、それがちょうどいいのかもしれない。
あとは、限られた時間の中で、ペース配分は個々が行えればそれでいい。
選択肢を増やすのに重きを置くか、選択した後にその道を進み続けるのに重きを置くか。
こう考えると、大学1年のときの物理化学の授業なんかは「今思えば、あれいらなかったよね」に該当する。あのときはまだ何を専攻しようかすら決まってなかったし。
他には例えば、私立文系を目指します!みたいな受験生。
数学絶対いらない!という気持ちが将来を見据えたものか、受験という直近の目標を見据えたものか。後者は大学合格のためには合理的な選択だろうな。でも、数学を使う文系学問は多いし、大学や仕事についた後に「(最低限)やっとけばよかったな」って思う場面が来る気がするから、選択肢には残しておいてほしいなって個人的には思う。
就活にしても、婚活にしても、通ずるところは絶対にあると思うし、特に昨年の就活では、ずっとこのことを頭の中で考えていた。
で、修論が終わったこのタイミングで初めて言葉に表してみた。まとまってないけど。
多分この考えは自分の今後の人生にもたびたび登場するだろうし、ある意味座右の銘を手に入れたのかもしれない。
少し寝かせてもう一度考えてみよう。